昭和40年05月17日 夜の御理解



 今日私夕方こんな事考えた、私がおかげ受けていると言う事、そのおかげを受けておると言う事を一人でも多くの人に、分かって貰いその分かって貰う皆さんにも、やはり私が受けておるようなおかげを頂いてほしい、皆さんが例えば、ここへはここに御神縁を頂いていない方でもです、何を一番求めているだろうかと、と言うとやっぱりあのう、お金に不自由をしておる、
 お金に難儀をしておる、ただこう言うような事が、この一番多いのじゃないだろうかと、はぁここにお金さえあったらと言う人がある、まあそれ程にだから、お金と言うのは魅力であると言う事。私がお金で、これは私に頂いておる、力の圏内ではありますけれども、無尽蔵限りなく不自由してないと言う事、だからこの事を、皆さんに聞いて貰うて、分かって貰ってから、
 椛目にさえお参りすれば、おかげに不自由はせんぞ、と言うようなおかげを、椛目におかげを頂いておる皆さんに、頂いてもらわなければならない、ですからお金に不自由しない道とか、お金に不自由をしない法と言うものをです、私はパンフレットにでもかいてからひとつ配ろうかと(笑い)、そんな夢のような事を、考えたんですけれどもね、けど事実でしょうが、ね、
 ですから私はねとに角、その金に不自由はしない、おかげを頂きたいと思うのは、やはりー金に好かれる私に、ならなければいけないと言う事なんですよ。ね、それはうならいつも信心の話で言うならばです、神様に好かれる私にならなければ、いけないと言う事なんです結論とするならば、ね、ですから、金が一番皆んなに魅力があるから、ね、金に不自由しない法と、
 椛目にお参りすれば金に不自由せん道を教えて頂くんだと、言うような事を本当に吹聴して廻りたいようなです、おかげを頂く人が出来なければ、ならないと言う事。ここでは目の当たりに直に言わば、私に接し私から聞かせて貰えば、その事だけじゃないけれども、金だけの事じゃないけれども、ありとあらゆる難儀の中に、難儀をおかげにして行き、幸せな道を開いて行くと言う事を、私皆さんに伝えておるんですけど、その中でも魅力なものはやはり金だと言う事。ね、
 ですから兎に角金に好かれると、言う事をそのまま神様に好かれると言う事なんですけれどもです、ね、どうですか皆さん、金に好かれる自分と言う事を感じられるですか、ね、神様に好かれる自分であると言う事より、もう少し範囲を狭めてですたい、はぁ自分がもう金金金金で難儀すると言う事は、金に好かれとらん証拠、ね、そこで金に好かれる道と言うのは、様々ありましょう、ですから私はですね、まずひとつひとつ金に好かれる私になる為の、稽古をしなければならない。
 それでわたしの頂いている色んな事あれこれを思うてみて、今ここに私御祈念前に座らせて頂いてから、大体教祖のみ教えをもてするならどの事だろうか、と思うて御理解集をチョット開いてみた、開いてみて一番ぐちに頂いたのがこれだった、可愛いと思う心が神心じゃと言われた。アッこりゃ神心になると言う事だなと言う事、これはもう神心神様ともう同んなじになる事なんですから、おかげ頂いて、人を殺すと言うが心で殺すのが重い罪じゃ、それが神の機感に適わん。
 目に見えて殺すのは、お上があってそれぞれお仕置きにあうが、心で殺すのは神が見ておるぞ。これは御理解75節可愛いと思う心が神心じゃ。これは第74節。はぁこれは神心になる事、そんなら神心になる事はどんな事か、私はすぐその後から、神様からこんな事頂いた。☆「可愛いと思う心が神心じゃと、憎いと思う心はその反対」どうですか皆さん、ね、可愛いと思う心が神心なのです。その反対の心は、いわば憎いと思う心などは言わば神心の反対の心ですから、まゆうならなんですかね。
 まあっ悪神邪神とでも言うでしょうか、ね、鬼のような心とでも言うでしょうか。これではおかげが受けられない事が分るですね。神に好かれる心とはいよいよ有難い神心にならせて頂く事なんだと、もう可愛いと思う心が神心、もうしわくれだらけのおじいさんおばあさんの、手握ってから私はもう、おしももう事ある時には神心だと思いますね。私この頃九十四になるち、
 田主丸の田舎の方から参って来たお婆さん、久しぶりに参って見えた。もう本当にもう(笑い)皺ぐれ顔に手あててなんかそう言う様なものこう、愛撫したい様な心私の心の中にしょうどう的にあるんですね、これは神様の心だと思うんです。帰りにはとにかく大変珍しい洋菓子を頂いとったから、お土産にあの持って帰って貰ったんですね。もう私の心を表現した訳なんです。で大変涙を流して喜んで帰られた訳なんです。
そう言うような心なんです神心とは。ね、この病気は人に移ると、恐ろしい病気だと、と言うても神様がその病気なら病気にです、恐ろしいて言うて廻れ右しなさるじゃろか、私は不思議にですねもう、本当にそう言う病気をしておる人ほど可愛いなるから不思議なんです私は。やはり神心だと思うですね、もうあげんとによりつかんがよかが、ね、こりゃ私病気だけの事じゃありません。
 ありゃ性根が悪いありゃ根性が悪い、人から言わば軽蔑されたり敬遠されたりする、ね、そう言う人ほどなんか知らんこのけれども、この抱擁してあげたいと言った気がしきりにする事がある、いつもかつもじゃないですけれども、だからこれを育てて行く事だと言う事なんです。ね、可愛いと思う心が神心ならです、憎いと思う心はその反対の心であると言う事を分からにゃいかん。
 所謂神様に嫌われる心であり、神に嫌われる心なのですよ。してみるとそう言う意味でですたい、ね、憎むとまではいかんでも、妬むとか嫉むとか、ありとあらゆる神様に嫌われる心があるでしょう、結局本気になってそう言う心をです、取り除いて行く事に焦点を置かなければならない、と言う事が分るでしょう。ね、今朝からあたいの御理解を皆さん頂いてごらんなさい、ね。
 私の一番嫌いな言わばあの猫なんかがです、神様が下さったんだと思うたら、それが好きにこそならんけれども、もう嫌いと言う所がなくなったと言う事です。神様が下さったんだと言う事になった、難しい言葉でそんな事頂いております。関係を関係を?高橋正雄先生のお言葉をこれは借りておるんですけどね、物は皆関係に置いて存在するのであり、事は総て関係によって展開するのであると言う事。
 ですから根本的な所を通して貰うとです、もうどう言うような事柄でも、総てその関係が出来てその関係から、生まれてくるのであり、しょうじてくるのでありそこから展開してくる、それが悪くも展開すれば、良くも展開して来ると言う事なんですね、私は嫌いでたまらなかった猫がですね、嫌いと言う事がなくなった。好きと言う程しはいかんでも、所がその猫が私の為に大変、重宝に働いてくれる様になったと言う事。
 そう言う風に展開して来る訳なんです。皆さんの心の中にですね、可愛いと思う心の反対の心、可愛いと思う心が神様にと、同根になって行くと言う事であるとするならです、ね、それに近い心それを親切の心真心とも言うね、そう言う心になる事がです言わば神様に好かれる事でありそれを断片的に、せまく間口をせばめて言うならばです、神に好かれる心神にだけ好かれたからと言うて幸せではないですけれど、ね。
 金に好かれる金に不自由せんで済むおかげを頂くならばです、まず自分の心の中の心改める事が第一なんです。一生懸命がない、真心がない、親切心がない、私には真心がある、私には親切がある、私には一生懸命がある、そのどれもこれものうて、そしていくら金のお繰り合わせ願うた所でですよ、金に好かれる筈がない。ね。ですからそれとは反対なです、ね、私共の心の中にある憎いとか、それ以下のです例えば神様から嫌われるような心と言うものをです、場合によってからとっちめて、ね、
 昨日一昨日でしたか、昨日でしたか秋永先生の奥さんが、あちらの大祭の時に文男さんの嫁ごの良しえさんば何か大変怒ったらしいですよ、泣き出す程怒ったらしいですよお祭りが済んでから、チョットした不行き届きがあった「それでもあんた文男先生の奥さんか」でもあの人の事ですから、そんな言葉で怒ったらしいんがですよ、とうとう泣き出してしまった。けどその後にですもうえらい自分自身が反省しとるんですね、自分がそんならその妹になりますかね、主人の弟嫁ですそれだけ言えれる自分であるかと、
 言うておるその事は自分は立派だろうけども、それ以外の事を思うたらですたい、本当にもうあいすまん事でじゃった、まーだ良しえさんにはお詫びしきらんけども、こりゃはよ椛目に参ってお詫びせないかんとて言うてから出てきてるんですね。そしたら神様からですね、☆あの金槌を頂くんですよ。金槌の後ろの方にくぎ抜きがあるでしょうが、こうついているやつが、釘が、ね。
 ただやかまし言うだけでは詰まらんです、だあれんきかせんです。ね、やかまし言うたらです、やかまし言うたあとに、向こうに入って行かなかった、聞かなかった向こうに反発した、と言う時にはですね、もうさっそく自分自身の心の釘をです、言わば反省して行くようなものがなからなければ、私は神様から好かれんと思いますね。そう言う意味で私は文さんあたりの。
 あの竹を割ったような生き方は神様から好かれる心ですね。そりゃなんかしっちもっちその?根に持たないんです。ある事はパアーッと出してしまうと言う気持ちなんです。ね、出してしもうてその後に、自分自身もやはり猛反省しておると言う事ですね。神様に好かれると言えばです、ね、まあ様々なそういう意味合いで色んな心得がございましょう。今日そういう心をいよいよです。
 あらゆる面からわからして頂き、神様に好かれる心そのまま、金に好かれる心、金に不自由しないおかげを、まあ金が一番皆んなが魅力ですから、ね、金に好かれると言う事になってくればです、ね、不自由せんでよかろうとこう思う、為にはまず私の心の中のです、いよいよ神心を育てて行く所のおかげを頂く為にです、神心とは反対の心を私は改めて行くと言うような、精進がいるのじゃないかとこう思うですね。
 兎に角椛目にお参りをさせて貰い、御用も頂き金に不自由しない、金だけじゃない一切の難儀から、離脱する事が出きると言ったようなおかげをです、ね、皆さんが頂いて下さると言う事がです、ね、拡声器変わりになるだろう、パンフレット変わりになるだろう、わたしは各おかげを頂いた、私は各おかげを頂いておると言う事、そこに神様の願いも成就する事にもなり、私共もおかげを頂いて行くと言う事になるのですからね、おかげを受けなければいけません。
 本当に神様にひとつ好かれる、神様に好かれると言う事を、わたしは今日金に好かれると申しました。まず金に好かれる、金に不自由しない為に私共まず神心になろうと、もう一辺そのみ教えをひとつ読んでみましょう。可愛いと思う心が神心じゃ。と人を殺すと言うが心で殺すのが重い罪じゃ、それが神の機感にかなわぬ。目に見えて殺すにはお上があってそれぞれのお仕置きにあうが心で殺すのは神が見ておるぞ。と、
 私共が憎いと言った心なんかはですね、人の心を傷つけると言ったような心はです、言わば殺すまではせんでも、人の心を傷つけるんですから、それで罰金取られたとか、懲役に行ったと言うような事はないだろうけれども、神様が見てござるから、許しなさらんのですよ。ね、ですからどうでも神心になる。可愛いと思う心が神心じゃと、言うその次にです憎いと思う心が、その反対である事をです、分からなきゃいけんと思うですね。
   おかげを頂きました。